1型糖尿病という病いを持ってから、つらかったことは何だろう。かつては低血糖だったかなあと思う。発症したての頃(すでに30年も昔)で思い出すのは低血糖。インスリンもそんなに今ほど良いものでなかったので、ひどい低血糖になると昏睡する恐怖に襲われた。

 

ひどい低血糖の時の感覚

僕の場合は、

糖分をとらなきゃ、糖分をとらなきゃ

そんな念仏を唱えながら、糖分のことばかりに意識が向かっていたように思う。言葉にすれば、意識朦朧状態なのだろう。その上、低血糖昏睡を起こした時の記憶も蘇り、本当に恐怖になる。

いったいどのくらいの血糖値だったのだろうか?

たぶん40mg以下だった、いや、もしかすると30mg/dl以下かもしれない。だけど、最近、こういう経験はあんまりしていない。

なぜか?

もしかしたら低血糖の感覚が変わったのかもしれない。いや、インスリン製剤の発達からか。いやいや、もしかすると低血糖の自覚がなくなってきたからかも。正直、よくわからない(笑)だけど、ひどい低血糖の時はまじでツラかったなあ・・

 

もう一つは

糖尿病という病気が「健康な人へ伝わらない」、これに昔は苦しめられた。1型糖尿病という病いを伝えても、相手はわからない。そんな相手に、血糖値だの、インスリンだの、そんなことを伝えても混乱が積み重なっていくだけだった。こんな時は、相手の目の前で

インスリンをブスッ

そうしたほうが、悲しいけれど、相手に早く伝わった(笑)

「あなた大変ねえ〜」「甘いもの食べちゃだめなんでしょ・・」こういうことを言ってくる人もいたけど、もうちょっと理解してほしいなあ、という感じだった。

1型糖尿病なんで、甘いものは大丈夫です

そんなことをまじめに伝えてはみたけれど、わかってくれたかなあという感じだった。

 

しかし、ツライことばかりではなかった

たしかに1型糖尿病を患えば、生活する上での不便さは出てくる。それは僕も感じる。流行りのCGMやインスリンポンプを付けたって、そりゃあ不便さはある。だけど、このような不便さって、経験すれば経験するほど、自分なりの解決策が出てくるってもの。それに加えて、生活上の不便さだけで、

人生の幸不幸が決まるってわけでもない

では、人生の幸不幸が決まる原因は何か、そんなことを問われれば、ここはある心理学者の話を引用したい。それは、

期待を出来るだけ下げることである

相手に期待するから・・何かに期待するから・・自分にも期待するから・・人は幸福じゃなくなるのかもしれない。おまけに

不幸を感じないと幸福は絶対に感じない

今まで生きてきて、そんな風にも思う。ドン底の不幸があればこそ、青天井の幸福も訪れる・・。だから

心配するな!

1型糖尿病ブログ(HOME)に戻る

style="display:block" data-ad-client="ca-pub-9555026920353566" data-ad-slot="6014657333" data-ad-format="auto">