「1型糖尿病って辛いなぁ〜」、「孤独だなぁ〜」、患者さんなら、そんな辛い思いを感じる時があるだろう。普通の人も「孤独だなぁ〜」と思う瞬間はあるだろうが、1型糖尿病患者の僕の場合、その思いがもっとリアルに感じてならない。それはどんな時か?

 

1型糖尿病であること

僕は、「自分が1型糖尿病を持っていること」を隠さないで生きてきた。学生のときも、就職のときも、仕事のときも、結婚のときも。宣言することのメリット、デメリットは考えずに、とにかく「糖尿病患者だということ」を隠さないでやってきた。その方が、僕にとって快適だったからだ。たまに「差別的な発言」をされることはあったけど、「まぁいいや、こんな阿呆は放っておく」という感じで、サラッと流して、今までやってきた。

 

そんな性格でも、やはり辛い瞬間

僕「やはり見えないのだ・・」

友人「何が?」

僕「病気の辛さが・・」

友人「誰が見えないの?」

僕「健康な人」

医療従事者の人はわかってくれる。それは、毎日、病気の人を相手してるわけだし、病気の知識だってある。だけど、健康な人に、いくら「病気の辛さ」を訴えても、全く理解されない。理解されないと言うよりも、「伝わらない」という言葉が近いかもしれない。これは僕が個人的に感じていることかもしれないけど、この瞬間、僕は辛くなる。まさに「ぬかに釘」の状態なのである。

 

健康な人が羨ましくなる

このような「ぬかに釘」状態になると、突然「1型糖尿病の孤独」が襲ってくる。昔は、治療を放棄したくなる時もあった。だって、健康な人みたいな生活したいもん。インスリン打たない食事。血糖測らない生活。合併症におびえない未来。本当に羨ましくなる。いや、羨ましいという言葉は正確でない。正直、呪ってやる、そんな気持ちである。

 

そんな時、自分を慰める言葉をひとつ

そんな思いを抱えつつも、自分が1型糖尿病である現状は変わらない。健康な人には「この辛さ」が伝わらないのだ。僕の場合、幸いにも理解してくれる健康な人が、ほんの数名だがいた。数名の友人だったり、仕事の上司だったり、今の嫁さんもそう。だけど、圧倒的大多数の健康人には伝わらない。そんな時、

健康は失って初めてそのありがたみがわかる

このセリフを思いだす。そうすると、少し自分が落ち着いてくる。

他人を変えることは、自分を変えることよりも難しい

まだ、1型糖尿病を発症したての人は、戸惑いも多いと思う。だけど、この病気は、適度に治療して、罹病期間が長くなれば、必ず慣れる。紆余曲折はあるだろうけど、自分なりの治療や対処方法が見つかってくる。これは、素行の悪い1型糖尿病患者の格言である。ただ、他人を変えることは難しい・・

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