悲しいことに幼い1型糖尿病のお子さんが亡くなった。ご冥福を申し上げる。治療を始めて2年目で、7歳の若さで亡くなってしまったのだから、とても悔やまれる。幼い年齢ながらも、ちゃんとインスリンは注射できていたようだ。それでも、なぜインスリンを止めてしまったのか、疑問が残る。
生きるにはインスリンが絶対必要
僕は1型糖尿病を長年患ってきたもんだから
1型糖尿病 = インスリン
この数式は脳みそに刻み込まれている。血糖値をさげるインスリンという物質。その生産工場は見事に破壊され、粉々になってしまい、生きるにはお金と同様にインスリンが必要なのだ。
患者の心理として
1型糖尿病という病いはとても少数派。僕は中学生で発症したのだが、当時は病気でない友達と自分を比べてしまうことがよくあった。だって、面倒なインスリン注射をしなければいけない。予測不能な低血糖にも備えなければいけない。そんな生活に初めは戸惑う日も多かった。
当事者の僕でさえ戸惑う状況だったから、僕の親はなおさら心配してしまったように思う。親自身が1型糖尿病であるならば、病気のつらさはきっとわかるはず。しかし、病気の主は子供の僕である。だから僕の親は糖尿病のことは頭の中で考えるだけだった。おまけに1型体験もないわけだから、変な不安や妄想は膨らんだという。
子供が鍵をかけたトイレで低血糖で倒れたら・・
食事も他の子のようには食べられない・・
子供のことを不憫に思えば、親なら藁にもすがりたくなる心理になるのではないだろうか。
祈とう師ならぬマッサージ師
僕も以前、同じような経験をしたことがある。それはあるマッサージ師との出会いだった。当時、仕事が激務だったもんだから、よくマッサージに通っていた。そしてマッサージ師と仲良くなり、1型糖尿病になった経緯などを話した。そうしたらマッサージ師から突然こう言われた。
マッサージ師「あなたが小学生の旅行で訪れた神社。その神社で、あなたは1型糖尿病に取り憑かれた」
僕「えっ、神社ですか!」
マッサージ師「たぶんね、だから御祓(おはらい)に行ってみたら治るかもしれないよ」
当時の僕は1型糖尿病をすでに10年以上患っていたから、御祓したところで、治らないことは知っていた。だけど、どうにもマッサージ師の言葉は心にグサリと刺さって、脳裏にこびりついた。おまけにHbA1cも乱高下していた時期だった。だから治るとまではいかなくても、神社に行けばちょっと良くなるかなあぐらいは思っていたような・・
永久にインスリンが必要という事実
もう何十年も糖尿病を患って、インスリン注射を続けていたから、インスリンは不可欠な物質であることは頭の根底にこびりついた。しかし、発症後まもなくであったり、インスリンとの生活に不便さや不快感を感じていた頃ならばどうだろう・・また、1型患者の子供を抱える1型でない親ならば、どう思うだろう。
医学以外にもまだ解決策があるのではないか
そう感じてしまうのではないだろうか。しかし、どんなに哀れでも、どんなに辛かろうとも、どんなに悲しくても、どんなに不運だと思えても、
インスリンがなければ、長く生きてはいけないという事実
ここはヒックリ返らない。どんなマッサージ師に会おうとも、人生で魔が差しても、この事実は絶対にヒックリ返らない。筆者もそんな不文律を学ばなければならないと、まさに思った瞬間であった。
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