前回の眼底検査はたぶん去年の12月にした。多少の出血はあるけれど、まあ焦ることはありません、という感じでDrから言われた。
今回、再度、定期的な眼底検査をした。出血はありませんでした、とのこと。僕のHbA1cを見れば、最近は7.5%ぐらいで安定していて、決して良いHbA1cとは言えないまでも、このぐらいの数値なら、目の方もあまり心配しなくていいのかもしれない。
糖尿病の眼底検査を終えて、長く、沈黙の会計待ちをしているときに、ふとフランスの画家であるセザンヌのことを思い出した。ヨーロッパで、はじめて、素人の僕が、彼の作品(サント・ヴィクトワール山)を見たときは、なぜだかわからないけれど、涙が流れて動けなかった。
涙を流すアジア人の石像
というタイトルが似合いそうな光景だったように思う。
彼は19世紀から20世紀にかけて生きた。そして、セザンヌは糖尿病だったらしい、ということは何かの本で読んだ。20世紀初頭に糖尿病になる、ということが、いったいどういうものだったのか(治療とか食事とか)、僕はまったくもって想像すらできない。
糖尿病は現代病のような印象があるけれど、その歴史は意外と深い。紀元後の平安時代の藤原道長も糖尿病だったらしいし、紀元前のエジプトでも糖尿病の人はいたらしい。
紀元後の人々が食べた食事と、紀元前の人々が食べた食事では、いったい何が違ったのか。僕は知らないけれど、それでも糖尿病になった人がいた、という事実に僕は驚いた。
現代の糖尿病人口の増大は、車の販売台数と関係がある、ということも聞いたことがある。それは、つまり、
現代人は、車を使うことによって運動をしなくなったから糖尿病になるのか
それとも、現代人は、車のアクセルを踏むから糖尿病になるのか。あのアクセルペダルも、年々、踏む力が軽くなって、それが原因で糖尿病になるのか。
現代人は、ガソリンスタンドで給油するから糖尿病になるのか。給油するときのあの握りにくいレバーが原因で糖尿病になるのか。
という、わけのわからない仮説も立てることができる(笑)。やはり、糖尿病になる、という原因は、奥が深そうである。もちろん、高血糖になる原因も探れば、奥は深い・・
僕の頭がやや混乱する最中でも、巨匠であるセザンヌの作品は、ドンと僕を待ち構えている。素人の僕でもわかるくらいの、圧倒的なインパクトだ。また、海外に行く機会があれば、彼のmont sainte victoireを見たい。