今の僕は、間違いなく存在しない。
あるカナダ人が1923年にノーベル賞を受賞していなかったら・・。もし、そのカナダ人が1923年にノーベル賞を獲得していなかった、としても、のちに別の誰かがノーベル賞をとっていただろう、という僕の推察などはここではどうでもいい。
そのカナダ人は、犬を実験材料にして、あるものを発見してノーベル賞を獲得することが出来た。僕は犬が大好きであるが、僕の個人的な好き嫌いもここではどうでもいい。
そのカナダ人が、ノーベル賞を獲得するまでの、およそ1920年までは、1型糖尿病は不治の病だった。2016年(現在)も、1型糖尿病は不治の病であるが、そんな僕の1型糖尿病の概念などもここではどうでもいい。
つまるところ、日本では勝海舟が咸臨丸で太平洋を横断したとき、やパリでは印象派が活躍したときに、もし、1型糖尿病になったとすれば、それは、いわゆる、死の宣告となる。なぜならば、日本も、フランスも、そして全世界も、その頃には
インスリン
を認識していなかった。認識、と、分かる、とはいったい何が違うのだろう、という僕の疑問もここではどうでもいい。
僕は、インスリンを注射することによって、2016年まで生きてのびている。30年もの歳月を1型糖尿病と生きてきたが、そんな僕の生存年数もここではどうでもいい。
いつ起こるのか、どこで起こるのか、そして、どのような症状が起こるのか。
インスリンの発見は、同時に低血糖の発見でもある。低血糖の発見よりも、低血糖が進んでいる感覚のほうが、患者である僕は恐怖だ。あの空腹感、あの冷や汗、あの動悸、あのイライラに始まり、やがて、あの目がチカチカの状態になって、あの挙動不審になる(僕は挙動不審になっても、必死に、懸命に、狂ったように、ブドウ糖を口の中へ突っ込む、若干意識的に・・)。
ウロウロウロウロしながら、意識を失いかける瞬間にも、不安だけは頭をよぎる。その先にある意識不明という4文字熟語が頭をよぎる。意識不明は、意識を失うこと、と辞書には書いてあるが、僕の感覚的意識不明は、映画館が真っ暗になるような瞬間であり、同時に痙攣が始まることを意味する。
低血糖は、面倒臭い。ひどいときは、人生すら面倒になる。つまり廃人のようになる。その結果、インスリンの量(単位)を極端に減らしたくなる。インスリンがあるから低血糖なのだ。なんとかインスリンを打たずに、別の方法で血糖値を下げてみたくもなる。
そんなときに、僕はインスリンの無かった時代を読み解く。もう1世紀以上も前のことだ。医療者にとっても、1型糖尿病患者にとっても、インスリンがとても必要な2型糖尿病患者にとっても、そして、その家族にとっても、これらの糖尿病の発症が、絶望的な死の宣告だった頃を僕は空想する。そして、今の僕は、まだ生きている。東京タワーが青くライトアップされる頃の11月14日は、インスリンを発見した彼の誕生日である。