あなたにとって、やりたいこと(つまり目標みたいなもの)があるならば、それは絶対にやったほうがいいし、長続きさせてほしいし、出来たら達成してほしい、と僕は願う。なぜか。
人は何のために生きるのか
という答えのない質問を、いつもではないけれど、ときどき僕は意識するからだ。たぶん1型糖尿病の僕の性格なのだろう。
目標などというものは
そう滅多に生まれてくるものではない。健康体の人々も、1型糖尿病の僕も、朝は混んだ満員電車に乗って、会社や学校に行かねばならないし、当たり前のように昼がくれば飯も食わねばいけないし、夜になればベットで寝なくてはいけない。そういう日々を漫然と過ごしているのである。
そして、そんな生活の中で、
死ぬ前に、これだけは絶対にやりたい!
という目標が出てくることなど、まずないだろう。いや、そういう生活の中で、もしかしたら目標は生まれてくるのかもしれない。ここは極めてわからない。けれど、もし、目標というものがあれば、それは、とても、幸せなことなのだ。
1型糖尿病を持っているのに、目標も持っているなんて、嬉しい事じゃないか!
ただ、そんな時には・・
1型というハンデ
を背負っていることだけは意識してほしい。もし目標を達成するために、その意識するハンデが邪魔ならば、忘れたっていい。けれど、けれどだ。そんな中でも、絶対にやってほしいことがある。それは
月1の診察には必ず行くこと
だ。たとえ、HbA1cが9.0%ぐらいだろうと、いつも測る血糖値がおおむね300mg/dl以上だろうと、食い過ぎや飲みすぎの日々だろうと、そして医師に怒られようとも、月1の血液検査と医師の診察だけは受けなさい、と僕は言う。
表と裏
目標を持つ事は、つまり、1型糖尿病の治療の反対側にあることだ、ということを僕は30年の1GATALIFEで感じた。僕の1型ライフの最初の10年は、できるだけ目標など持たぬように過ごした。けれど、これでは、健康な人が感じているだろう、充足感とか達成感というものを、ほとんど得られるわけもなかった。
遊んで生きるか、金を浪費するだけの、世間からは鬼のような目で見られる、生きる屍のような、つまらない生活となってしまうわけである。そして
目標は具体的であればあるほど良い
と僕は思う。しかし、そこには、健康体の人と競争しなければならない目標もあるかもしれない。そんな場合は、自分の1型糖尿病を忘れてもいいし、バネにしたっていいと思う。ある有名な、名古屋にある、糖尿病のクリニックのDrは、この作業を「昇華」と呼んでいたように思う。そして、
月1回の診察と低血糖だけ、
注意して意識してほしい、と願う。こういう記事はDrからの強い反発を買いそうな気がするけれど・・