僕にとって、究極的に厄介な食べ物であり、究極的に心が休まる食べ物。それは懐石料理。少量に盛られた野菜やら芋やら、普段は見かけない料理が徐々に徐々に運ばれてくる。まるで、そこは大盛りに盛られた牛丼とは対極的な食世界。

運ばれてくる小鉢を見るたびに、僕は首を傾げる。いったい、どんな食材で出来ているのだろうか?刺身などのお造りは見ればわかる。普段口にするものだから。ある程度の炭水化物量だってわかるさ。しかし、練り物になると話しは少々厄介になる。人生で初めてかぶら蒸しを見たときは、炭水化物量がありそうな、なさそうな、そんな物体に思えた。じゃがいもで出来ていそうな物質にも思えた。

少量で、多種多様な食材を、時間をかけて食べる方法はきっと体にはいい。しかし、インスリンを打っている糖尿病の僕にとってはつらい時がある。うまそうな小鉢を前に、計測できぬ炭水化物に不安を抱える。小鉢は順々に、色々なものを運んでくるから、不安は一層ひどくなる。ついつい味よりも炭水化物の量が気になって仕方がない。おまけに、インスリンをいつ打つか。いつも迷いあぐねる。これも長年患っている1型糖尿病の性なのだろう。

おでんの時も似たような状況になる。卵や牛スジ、大根などはいいとして、厚揚げ、さつま揚げ、ごぼう巻きにがんもどき、練り物達は僕の頭を混乱させる。いったい、どのくらいの炭水化物量なのか。だが、そこには同時に秩序も存在する。おでんの出し汁に少量のマスタードを付けて食べる練り物は、僕の心を静かに温め、そして穏やかにさせる力がある。おでんを見れば、普通の人には見えぬ食事ワールドが僕の前に広がる。そう、混乱と至福のおでん鍋。

だから出来るだけ混乱しないように、と110gという数字を思い出す。それはご飯の量だ。炊いたご飯を早めに冷凍庫に入れた方がごはんは美味い、と嫁は言う。だから、自宅での食事が終われば、保温された釜からご飯を取り出し、秤で測って、ラップに包み、冷蔵庫に入れる。ごはんの量はいつも110g。それは160キロカロリー(2単位)で、炭水化物量はだいたい37g。カオスのない世界。だから自宅にある秤に感謝の念が堪えない。いつも、きっちり食材の量を測ってくれる。秩序を導く我が家の秤だ。しかし同時に、数値で測らねばならない糖尿病の食事に孤独も感じる。

だから、食べたいものを食べてインスリンを打てばいい。懐石料理やおでんのように、炭水化物の量がわからずインスリン単位も迷うようならば、とりあえず打って、食後の血糖値を測ればいい。その時点で追加のインスリンを打ったって遅くはないはずだ。だって、血糖値は食事だけでなく、その日の体調などにも左右されるわけだから。

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